アストロノート解題

2006年08月28日

「R/F 5つの断片」
ロブ・ニルソンという映画監督について書くのがもともとの課題だった。原稿の依頼主は広島の「スタジオ・マラパルテ」。マラパルテが主催する広島の深夜の映画イベントで私は初めてロブ・ニルソンの映画を観た。ロブ・ニルソンの映画は素晴らしかったが、私は同時に観たロバート・フランクの映画について書くことにした。そっちの方がダイレクトに心に来たからだ。ロブ・ニルソンではなくロバート・フランクについて書くことは了解された。さあ書こう。ところが私は、ロバート・フランクの映画について思い巡らせながら、実際は自分の詩や自分の仕事や自分の家族のことばかり考えていたのだった。何かについて書く、ということが私には根源的に不可能なのだと知った。書けないままドバイに行って、ドバイで途方に暮れていた。そういう詩。

「電気ネズミを巻き戻す」
出張で夕張に行った。夕張で雪道を二時間歩いた。夕張から帰って来た。帰ったら家の中がぐちゃぐちゃだった。家の中がぐちゃぐちゃなのは子供がいるから仕方ない。「片付けても片付けても気がついたらいっつもこうなっている」と妻は言った。「ぐちゃぐちゃだね、ぐちゃぐちゃだね」と言いながら、私たちはリビングに散乱した玩具の類いを煙草部屋に投げ入れた。煙草部屋というのは、私が本を読んだりものを書いたりする部屋だ。私はその部屋のなかで別の生活を夢見ていた。これは「ユリイカ」に書いた詩。

「赤い小冊子(スイットピ)」
子供のための詩を書きたいと考えていた。子供が小さいうちに、子供のために感動的な詩を一篇だけでも書いておきたかったのだが、何度試みても失敗した。大きくなった子供がそれを読んで、若き日の父親と出会えるような美しい詩。しかし、実際には、子供が読んだら凍り付いていまいそうな詩ばかり書いている。誰かのために書く、ということが私には根源的に不可能なのだと知った。かわりに、秘密工作員として福岡に潜伏している若い父親を主人公にした詩を書こうと思った。これは「現代詩手帖」に書いた詩。

「ガンツ」
これは図書館の業界誌である「図書館の学校」に書いたもので、初出時の表題は「ビネガー博士のラクラク健康法」となっている。依頼主は、詩を書いている私ではなく、あくまで図書館で映画フィルムの保存業務をしている私に原稿を依頼したのだった。フィルム・アーカイヴ機能を持つ図書館は福岡にしか無く、私の仕事はたいへん珍しいので、それを紹介して欲しいとのことだった。真面目な雑誌なので、真面目に書こうとしたのだが、「わしは詩人じゃ」という自己主張が大いに出てしまった。ボツでいいと思っていたら掲載され、原稿料を四万円もくれた。これはおいしいと思い、担当編集者に電話して「連載させてくれ」と頼んだが、まったく相手にされなかった。

「ハイウェイを爆進する詩」
書いた時は気付いていないのだが、明らかに「赤い小冊子」の影響下にある詩。実際に見た夢の記憶。私は高速道路をぶっ飛ばして何処かへ逃げていた。助手席に父親のような男が乗っていた。私は自分の意志で逃げているつもりだったが、いつの間にかその男に命令されて逃げているような気持ちになっていた。雨が降っていた。ひどい雨だった。視界が失われていった。「絶対事故る」と思いながら、アクセルを踏み続けていた。目が覚めた瞬間に、今見ていた夢は詩に使えると思った。そういうことはたまにあるが、だいたい忘れてしまう。だがこの夢ははっきりと覚えていた。そして、これに似た設定の夢を、以後数カ月の間に連続して見ることになった。「ミッドナイト・プレス」から依頼されて書いたもの。

「どいつねんたる」
映画監督の青山真治について書くのが課題だった。「ユリイカ」からの依頼だ。青山真治特集をするので何か書けと。『ユリイカ』という彼の映画が大きな話題になっていた頃だ。冗談かと思った。詩が映画に媚びを売るようで、なんとも気が滅入った。私は彼の『helpless』を詩でリメイクすることにしたが、気分が乗らず、阪本順治の『どついたるねん』を噛ませることにした。最後はどうでもよくなって、もうこんなもん知るかと思って、脳が沸き立つまま滅茶苦茶に書き殴った。さすがにこれはボツになるだろうと覚悟していたが掲載された。もう何でもありだと思った。

「卑屈の精神」
フランスのセルジュ・ダネーという映画批評家が死んで、その著作が邦訳された。『不屈の精神』というその邦訳本を、私は一字一句読み逃すまいと思いつつ丁寧に読んだ。しかし、私には彼の言葉が、「不屈」どころか「卑屈」に思われたのだった。それは敗者の言葉に似ていた。ちょうどその頃、河出書房新社からゴダールのムック本への原稿依頼があった。ゴダールが撮った『ウイーク・エンド』と『楽しい科学』について書いて欲しいとのこと。私はゴダールの言葉も基本的には「卑屈」だと思っていたので、ゴダール自身になりすまして、自作についての卑屈なコメントを捏造してみた。引用は一切ない。

「青猫以後」
精神の渾沌に向き合うことが困難になりつつあった。仕事を持つ社会人として、また家族を持つ生活者として自分のことは後回しにするしかなかった。苛々しても仕方ない。しかし苛々する。詩人の栄光はこんな暮らしの中からは生まれないと思った。見るもの触れるものを壊してばかりいた自分が、いつの間にか「チホウコウムイン」を演じているような気がしていた。それが死ぬ程いやだった。ピリピリしていた。異様にピリピリしていた時にこれを書いた。「ユリイカ」に掲載した時はタイポグラフィックな組版にしたが、それを再現するのは困難なので、ここではテクストの原形を収録した。私は「青猫以後」を核とする長篇詩集を構想していたのだが、ちょうどその頃「鎌田哲哉」という真性の青猫に出会い、その構想を棄てた。私が「青猫以後」を生きるのは当分先になるだろうと思ったからだ。

「中也と秀雄と赤ん坊」
小林秀雄について書くというのが課題だった。依頼主は河出書房新社。無理だと思ったが引き受けた。私はまともに読んだことのない小林秀雄をこの機会に読もうとしたのだったが、やはり無理で、中原中也の日記ばかり読んでいた。そして、「赤ん坊」をキーワードにしてこの原稿を書き始めた。短期戦を気取っていた中也にとって赤ん坊というのはひたすら厄介な存在だったろう。長期戦を覚悟して着々と備えていた秀雄には赤ん坊と距離を置く余裕があった。些細なことかも知れないが、この違いは大きいと私には思われた。しかし原稿を書き進めるうちに、どっちもどっちだという気がして来た。

「半魚」
これは十ニ年前にある人物から依頼され書いた映画のシノプシスを原形としている。「非破壊検査」という題名のシノプシスを私は書いたのだったが、映画の製作が見送りとなったので、世に出る事無く、また原稿料も出なかった。私は「非破壊検査」の原稿を棄てずに持っていた。何も書く事がなくなったら、それを引っぱり出して、時間をかけてまともな読み物として完成させたいと考えていた。本書(アストロノート)のゲラを通読してみた時、私は何かが足りないように思い、「非破壊検査」を不意に思い出し、この機会に完成させてやろうと思った。夏の間のおよそ二ヵ月間、私は詩集の校正をそっちのけにして、その作業に没入した。しかし完成させるには時間が足りなかった。それに完成させたとしても、詩集に編入するには長大すぎるだろうと思われた。私は「非破壊検査」のなかの一つのエピソードだけを抜き出し、それを仕上げ、「半魚」と名付けた。

「1989」
またしても河出書房新社。今度は「セックス・ピストルズ」について何か書いてくれという。とりあえずピストルズの歌詞をネタにしようと思ったのだが、私が持っているCDは輸入版で歌詞がついていないことに気付いたのだった。仕方ないので、ピストルズは無視することにして、私自身のパンク時代を思い出しながら詩を書いた。パンク時代と言っても、バンドをやっていたわけではない。そんな仲間はいなかった。髪を脱色して、ボロボロの古着を着て、アパートで寝ていただけだ。夜中に起きて、犯行声明のような詩を書いていた。自滅する前に何かを攻撃しておきたかった。